2024/11/24 21:13

今年も【冬至大祭ケーキ】を販売いたします🎂

冬至大祭ケーキは昨年から始めたもので、クリスマスも含めた大いなる自然のサイクルの節目を祝い、来たる新たな一年を明るく迎えるためのケーキです。

なぜクリスマスではなく、冬至なのか?

その詳細については概ね昨年投稿した通りですが、改めて推敲した内容でお伝えします。

まず、クリスマスと冬至の関係について。

クリスマスとはイエス・キリストの生誕を祝う日ですが(実際の誕生日は不明)、元来冬至を祝う日でした。キリスト教が普及する前の古代ローマ帝国時代においてはミトラス教が隆盛しており、冬至には太陽神(ソル・インウィクトゥス)の復活を祝う民間信仰の風習がありました。

時の権力者がその風習と統合するように、イエスの降誕祭も冬至に執り行うことになり、それが現代におけるクリスマスの始まりとされています。

つまり、冬至を祝うこととイエスの誕生を祝うことはセットだったのです。

冬至といえば、一年のうち最も昼が短くなり、太陽の力が最も弱まる日であるので、太陽の死を象徴する日でありますが、それと同時に、陰極まって陽に転ずる「再生・復活の日」でもあります。

冬至に太陽の再生を祈る古代の風習は古今東西数多く存在します。日本も多分に漏れないどころか、太陽信仰文化が太古から現代にまで色濃く連綿と受け継がれている稀有な文化圏です。

実際、縄文時代からストーンサークルや集落跡からも冬至を強く意識していた痕跡が多数見つかっており、冬至大祭なるものもあったであろうと考えられます。

冬至を祝う風習は、時代が下っても形を変えながら、新穀感謝の日として継承されていくことになります。

昔の人たちは毎年冬至に神様にお捧げしてから初めて自らも秋の新穀を食しており、太陽の光を受けて成長した新穀を自らの体内に入れることによって、新たな生命力を得ることができると信じていたようです。冬至粥を食べるのもその信仰における風習の一つであると考えられます。

宮中行事としても、太陽の復活を祈る祀りと、新穀の収穫を感謝する祭が合わさった祭祀が古来より継承されています。それが新嘗祭です。

新嘗祭は、天皇が神前で新穀を食すことにより天照大神の霊威を身に受けて、それを更新することが本義であると考えられており、その御神事が執り行われたのは、旧暦(太陽太陰暦)の11月の2回目の卯の日でした。それは現在の暦でいうと、12月上旬から1月初旬までの間で、冬至前後の時期です。

卯の日は陰陽五行思想においては「再生・更新」を意味する日でもあります。そのことからも本来の新嘗祭は冬至と連動していたことは明らかです。

明治初期に新暦(グレゴリオ暦)に移行したことで、新嘗祭の日を旧暦に合わせると新暦では1月になる年もあり、都合が悪いということで、11月23日に固定されました。更に戦後はGHQの意向を受けて、それまでの日本の祝日にあった国家神道の色彩を払拭すべく、他の祝日と同じく新嘗祭の日も名称が変更され、「勤労感謝の日」となりました。

そういった経緯もあり、元来の新嘗祭の意義が分かり辛くなりましたが、そもそもは古来から続く冬至の祭祀といえるのです。
冬至祭を執り行うのは、宮中だけでなく、神社や寺院でも全国各地で見られ、民間の風習においても、冬至粥やカボチャを食べたり、柚子風呂に入るなど数多くあります。それらはほとんどが江戸時代に始まったものですが、江戸時代以前から冬至を祝う文化があってこそ生まれたものといえるでしょう。

以上のように日本は古来より冬至(太陽)との密接な繋がりをもって日本文化を醸成してきました。

そういった太古からの歴史・文化を踏襲した上で、東西の食文化を融合させることで出来上がったのが冬至大祭ケーキです。

それは古今東西の冬至文化とクリスマス文化も内包したものであり、生きとし生けるすべての生命の輝きを賛美するケーキです✨

今年は和栗のヴィーガンチョコケーキです。

ケーキのスポンジは米粉とたかきび粉のココアケーキ
ローココアクリームと和栗クリームをサンド
デコレーションにチョコレートと、和栗クリーム、和栗の渋皮煮をあしらいました。
昨年は太陽の復活をイメージして明るい配色だったケーキを、今年はあえてダークに。

それぞれの食材の文化的意義も以下に記しました。
(※多少長いのでご興味がある方だけご覧ください。笑)

このケーキで主役となるお米、たかきび、栗は縄文時代から重要な食物でした。

稲作の開始は弥生時代というのが定説とされてきましたが、近年の発掘によって菜畑遺跡(佐賀県)の水田の痕跡が見つかったことにより、水田稲作は縄文時代後期〜晩期(約3000年前)からされていたことが判明しました。

更にそれ以前は、5000年前の姫笹原遺跡(岡山県)や6400年前の朝寝鼻貝塚(岡山県)、12000年前の薩摩火山層(鹿児島県)でプラントオパール(イネに含まれるケイ酸体)が検出されており、いつ頃から栽培が確立したのかは諸説ありますが、縄文時代において長らく稲作(主に焼畑での陸稲栽培)が行われていたことは確かなようです。

きびも縄文時代から栽培されており、お米と並んで重要な穀物の一つでした。

そして栗に関しては集落の周りに沢山の栗の木を植えていた遺跡もあるほど重要視されていましたし、耐久性、耐水性に優れていることから、家屋の柱としても使われ、栗はまさに縄文文化に欠かせないものでした。

また、お米もきびも栗も新嘗祭において神前に献上されるものであり、日本文化の基底となるものといえます。

そういった食材を使いながら、ケーキの完成形としてイメージしたのが縄文杉です。大地に深く根を張り、天に向かって高く聳え立つ生命力に満ち溢れた巨大樹を表現しております。

ケーキこそその時代にはないけれど、古代の人々は、冬至のお祝いとして大いなる存在にそれぞれの食物を捧げていたのだろう。そして生命の躍動を真に祈ったのだろうと私たちは考えました。

以上をお読みになってお分かりかと思いますが、縄文好きが高じてこうなりました・・・笑

そんな思想強めのケーキで、ご共感いただけたら大変嬉しいのですが、何はさておき、、、只々美味しいケーキを作りましたので、ぜひご賞味ください!